鶴岡に生まれて
私にはいわゆる「ふるさと」というものがない。
父親が転勤族で東北各地を転々としていたから、幼馴染というひともいないし、自然と出てしまうお国言葉もない。だから、子供の時分はどこか寂しい思いをしていたし、仲良く遊んでいた「ともだち」ともそのうち別れてしまうだろうな、という醒めた感情が心の片隅にあったことを覚えている。
それでも、心象風景として幼いころから残っているものは幾つかあり、それは例えば、春の盛岡から眺める残雪を湛えた岩手山(南部富士)の堂々とした山容だったり、冬の鶴岡で地吹雪の吹き付けるなか母に連れられ田んぼの一本道を歩いているさまだったり、陸前高田でみた高田松原の海岸線に広がる白砂青松のコントラストだったり。青年時代まで含めれば、仙台にいたのは高校から予備校までの5年間だったので、そこでの記憶もまた、ふるさと「のようなもの」になるだろうか。
鶴岡は、藤沢周平の歴史小説に登場する「海坂藩」のモデルとしても有名であるが、西に日本海、東に出羽山地、北に鳥海山を眺め、郊外には源泉豊かな温泉がいくつかある町である。都市規模こそだいぶ違うが、仙台とも似ているところがある。
そこで、しばらく鶴岡の話をしようと思う。