pirapa’s blog

大熊猫のように丸々と肥えた己を、戒めることなく笹を齧りつつ、思った何かを綴り残していくような、そんなゆるいブログです

令和の夏に母を送る(1)

令和元年8月12日の仙台は、朝からどんよりとした雲に覆われた、蒸し暑い日だったように思う。

いつものように母と共に昼食をとったあと、私は自室で調べ物をしていた。午後4時ごろに母が近所のスーパーに出掛け、数十分後に戻ってきたのを覚えている。
そのころ調べ物に疲れた私は、少し横になっていた。次第に瞼が重くなり、ついウトウトしていたようだ。気が付いたら午後の7時を回っていた。我が家では午後7時30分に夕食という決まりがあるので、時間に遅れずに済んだことに安堵した。

自室からリビングに向かうと、点いているはずの明かりが消えていた。台所をみると、すぐに夕食の支度を始められるよう食材が並んでいた。嫌な予感がした。
もう一度リビングのテーブルの上を念入りに見た。何か急なことで外出したなら、メモを残している筈だ。しかしそのようなものはない。メモも残さずにどこに行ったのだろうと思いながら廊下に出たとき、浴室につながる洗面所の扉が閉まっているのに気が付いた。

「そうか、風呂か」

母はこの季節、買い物から帰るとシャワーを浴びるから、なにか理由があって、いつもより遅く風呂に入っているのだろう。そう考えれば辻褄は合う。今日の夕食はだいぶ遅くなりそうだ。そう思いながら部屋に戻ろうとした私は、あることに気が付いて血の気が引いた。

さっきから物音がしないのだ。

シャワーを浴びているなら、何かしらの音は聞こえてくる筈だ。不安になった私は洗面所の扉越しに声を掛けた。反応がない。もう一度大きな声で母を呼んだ。しかし扉の向こうは静かなままだ。意を決して洗面所の扉を開けた。浴室を隔てるガラスのドア越しに明かりが漏れている。やはり母は中にいる。さっきより更に大きな声で呼びかける。静寂が私の不安を確実なものに変えた。

思い切って浴室のドアを開けた。洗い場に母が居た。横向きの姿勢で倒れ、いびきをかいている。何度も母を呼んだが反応がない。明らかに脳疾患が疑われる状況だ。

急いでリビングに戻り、救急車を呼ぶ。浴室に戻り母の身体を揺り動かしても、まったく反応がない。昏睡状態だった。

暫くして救急車が到着した。救急隊員が意識確認をしている間に、私は入院に備えてお薬手帳や常備薬、保険証や財布を探し、母が救急車に収容されると同時に、ベッド脇のシートに乗り込んだ。隊員は年齢や持病、かかりつけの病院があるか、私に矢継ぎ早に質問しながら、搬送先の病院を探している。電話を掛けた一軒目の病院には断られたが二軒目の病院での収容が決まり、隊長と思しき人が「脳障害の可能性があるので専門の病院にいきます」と私に告げると、漸く救急車は動き出した。

座っているシートからは微かに外が見え、およそどこを走っているかの見当はついた。まっすぐ東の方向に向かっているようだ。幾つかの幹線道路を横断し、救急車は仙台バイパスに入る。心拍数や血圧をモニターしている隊員が、母の手や足に刺激を与えて反応の有無を調べている。わずかに反応が返ってくる。私はその痛みで母が目を覚ますのではないか、と思った。いや、覚めて欲しいと心から願った。ただの失神であって欲しいと強く思った。

いつのまにか救急車は仙台バイパスから離れていた。「もうすぐ病院です」そう告げられたとき、時計は午後8時30分を回っていた。

着いた病院は、仙台東脳神経外科病院だった。救急車を降り、処置室の前で兄弟に一報を入れる。画像検査をするため、母を載せたストレッチャーが忙しなく出ていき、暫くして戻ってきた。

「先生からお話があります」

病院の看護師が私のところにきて、そう告げた。
覚悟が要るな。私は自分に言い聞かせた。

f:id:pirapa:20190818155219j:plain