pirapa’s blog

大熊猫のように丸々と肥えた己を、戒めることなく笹を齧りつつ、思った何かを綴り残していくような、そんなゆるいブログです

令和の夏に母を送る(2)

通された診察室には、白衣を着た医師が既に座っていた。
机の上のモニターにはCT画像が表示されており、軽く自己紹介をしたその医師は、すぐに画像の説明を始めた。頭部の断面を映したそのモニター画面には、明らかに白い病変部が見えている。

「重度の脳出血です。およそ150ccほどと思われます。」
「溜まった血液を緊急手術で取り除くことは勧められません。」
「再出血の可能性があります。今夜から明日がヤマになります。」

嘘だ。嘘だ。嘘だ。そう叫びたがっている心を、辛うじて理性が抑えた。

「早めにご家族をお呼びになったほうがいいでしょう。」

目の前が歪んだように思えた。今日の昼まであれほど元気だった母が、いま瀕死の状態にあることを信じたくなかった。

廊下の長椅子に戻って、兄弟に病院名をメールで送る。次いで母の姉妹にも電話を入れる。誰もがすぐには事情を呑み込めない様子なのが、電話越しに伝わってくる。

暫くして、妹夫婦と子供達が病院に到着した。
状況を説明していると、看護師が数種類の書類に記入を求めてくる。こんなときに、と思う気持ちを抑えて、書類に筆を走らせる。医療過誤が社会問題化したこともあり、最近はどこの病院でもまず一筆を求められるが、あまりいい気分ではない。特に一刻を争うような、こんな状況の中では…。

一時間ほどで病室に移動となる。ナースステーション脇の個室で、母が寝かされているベッドのほかに、付添者用の簡単なベッドと洗面台にパイプ椅子がひとつ。おそらく急性期の搬送患者用なのだろう。映画で良くみるバイタル(心電図、血圧、酸素飽和度)を測る装置が、いまの母の生命を表示している。脈拍は早く血圧は高め。顔色もよく傍目からはただ寝ているようにしか見えない。

翌8月13日午前0時前に弟が病院に着いた。母から見て、子供と孫が勢揃いする格好となった。この頃には次第に呼吸が浅くなっており、酸素吸入の措置が始まっていた。手を握るとしっかり体温を感じる。顔も普段の寝顔と変わりない。生きている、生きようとしている。そんな風に思えて、握った手をいつまでも離さずにいた。握っている間は大丈夫。そんな気がした。

しかし母の容態は、ゆっくりと、しかし確実に悪化していった。バイタルのアラームが数分おきに鳴っては止まるを繰り返すうちに、いつのまにか、心電図の波形は搬送直後より弱々しくなり、酸素飽和度は70%を切っている。

処置を続ける看護師が、不意に「延命治療はどうされますか」と尋ねてきた。いろいろな考えがあると思うが、母は所謂、延命のための治療に常々否定的であったから、そうした治療は要りませんと答えた。母の生命を自分たちが決めてしまうことへの躊躇いがなかった訳ではない。しかし、常日頃から母が言っていたことを叶えるのが、いまの我々の役割だと自分に言い聞かせた。

時刻が午前2時30分を過ぎた頃、バイタルの数値が一段と悪くなった。鼓動と呼吸を示す波形は、もはや凝視しなければ見えないぐらいに小さくなっていた。握った手は温かいものの、呼吸の弱さは素人目にも明らかだった。最後のお別れをする時間が来たのだと思った。

午前3時。遂に心拍が測定不可能となった。いままさに母の生命が終焉を迎えている。ただ見守ること。それだけで精一杯だった。

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医師がきた。ゆっくりと聴診器で脈を聴き、瞳孔反応を見定める。そして徐に時計を読んだ。

「午前3時10分。ご臨終です」

あらためて母の顔をみた。さっきとは違う魂の抜けた顔にみえた。享年81歳。ひたすらに子供と孫のために尽くした愛すべき母は、いまたしかにその生涯を終えたのだった。