鶴岡に生まれて
私にはいわゆる「ふるさと」というものがない。
父親が転勤族で東北各地を転々としていたから、幼馴染というひともいないし、自然と出てしまうお国言葉もない。だから、子供の時分はどこか寂しい思いをしていたし、仲良く遊んでいた「ともだち」ともそのうち別れてしまうだろうな、という醒めた感情が心の片隅にあったことを覚えている。
それでも、心象風景として幼いころから残っているものは幾つかあり、それは例えば、春の盛岡から眺める残雪を湛えた岩手山(南部富士)の堂々とした山容だったり、冬の鶴岡で地吹雪の吹き付けるなか母に連れられ田んぼの一本道を歩いているさまだったり、陸前高田でみた高田松原の海岸線に広がる白砂青松のコントラストだったり。青年時代まで含めれば、仙台にいたのは高校から予備校までの5年間だったので、そこでの記憶もまた、ふるさと「のようなもの」になるだろうか。
鶴岡は、藤沢周平の歴史小説に登場する「海坂藩」のモデルとしても有名であるが、西に日本海、東に出羽山地、北に鳥海山を眺め、郊外には源泉豊かな温泉がいくつかある町である。都市規模こそだいぶ違うが、仙台とも似ているところがある。
そこで、しばらく鶴岡の話をしようと思う。
東京点描
持病の薬を貰いに、二箇月に一度程、東京のとある病院に通っている。
この病院は幼稚園時代からの付き合いなので、かれこれ四十五年以上になるだろうか。いまは主治医も建物も代替わりして、初診時の面影は全く無くなってしまった。
最寄り駅は新御茶ノ水なので、いつも東京メトロ千代田線を使う。当たり前であるが、東京の地下鉄は本数も編成長も、仙台のそれとは規模が違う。千代田線は堂々の十両編成。ラッシュ時はぎゅうぎゅうになるほど込み合うのだが、ピークを過ぎれば、あの喧騒はどこへやらといった穏やかな時間が流れる。
東京通いにはマイカーか高速バスを使う。新幹線は早くて楽だが、東京まで一万円以上掛かるのが痛い。その点、マイカーやバスなら片道数千円で済む。
高速バスといえば、新宿に新しいバスターミナル、その名も「バスタ新宿」が出来たのが、最近の話題だろうか。バスタ新宿を拠点に、各地に向けて次々と高速バスが発車していくさまは、眺めていても飽きないものがある。鉄道でいえば、かつての上野駅の風景に似ているのかもしれない。
ツツジ
老母と住んでいる家には、僅かばかりの庭がある。そこにはいくつかの草木が植えられており、季節の加減によってさまざまな色合いを見せてくれる。
五月の下旬からはツツジが咲きだした。花弁は濃い紅色と純白の二種類があり、同時に咲くものだから、色合いのコントラストが目に眩しい。
初めてツツジが美しいと感じたのは、小学校の修学旅行のときだったろうか。秋田と男鹿半島を巡る一泊二日のバス旅行だったが、初日の昼食場所が秋田市内の千秋公園で、そこで各々弁当を広げた。
丁度六月に入ったばかりだから植え込みのツツジがいまを盛りと咲いていて、朝に母から持たされたサンドイッチを頬張りながら、その花弁をうっとりと見ていたことを思い出す。
紅色と白色。いずれも美しいが、僕は白いツツジが好みだ。とくに雨露に濡れた早朝などは、その白さが更に冴えて見えるようである。